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6. 九州、ついにやって来た

想比母子の像 - フィリピンに出征した夫の帰りを待ち望む - 開聞花瀬望比公園にて

歩道兼サイクリング道となっている海底トンネルを通って、自転車で北九州に上陸した。ここは工業都市で、ゴチャゴチャしていて騒音が激しく、今まで通って来た北海道や本州とは全く違う雰囲気であった。通行する車もサイクリストにあまり親切ではなかった。こういう時にはニュージーランドの広々した空間が恋しくなる。福岡の南には感じの良い高原に素晴らしい峡谷があり、そこから美しい鹿児島湾を見た。

九州では、サツマイモや麦、大麦で作られた焼酎を飲む喜びを覚えた。芋焼酎がベストだと思った。

長崎へ回り道をすることにして、原爆資料館へ行くことにした。資料館で私は、母国が世界平和に寄与する国の先頭に立っていることを見て、ニュージーランド人であることを誇りに思った。

ニュージーランドは1984年に首相デービッド・ランゲが、ニュージーランドの港から原爆を積んだ船や武装した船の入港を禁止することによって核反対の規則に厳密に従うこととした。また、ニュージーランドからのメールで世界平和の鐘が鋳造され、日本の平和船「トパーズ」に積荷されオークランドを含む世界の港を目指すということが確認されたのを知り、大喜びした。

高速フェリーで島原湾を横切ったため、非常に早く移動することができ、そのまま南を目指した。2,3日後、交通量の少ない幹線道路に乗り、鹿児島湾を海岸に沿って走行した。

一つがっかりしたことは、自転車で有料道路を走ることが許されていないということだ。佐多岬までの残り8キロの所だった。有料道路を走行する許可を取得しようと願い出たが道路の安全性から却下されてしまった。急勾配な森の斜面を進むバスの乗客は私達二人。もしこの道を自転車で挑戦することができたなら完璧だった。

(編注:2007年4月以降、自転車でも通行可能になっている。旧料金所から駐車場までは通行無料。その駐車場から佐多岬までは有料の遊歩道で、徒歩でのみ通行可能。この遊歩道部分は8時から17時までしか通行出来ない。)

我々の日本縦走は、あとたった8キロということころで行き詰まった。夜にこっそりと走ってしまおうかとも思ったが、万が一捕まったときに知らなかったフリもできない事も分かっていた。しかも実際すでに一度、ロシア人テロリストとして疑われ警察に停められたこともあったのだ。

69日目の午後遅く、初めて北へ向かった。急な下りで角を回ったとき、急ブレーキをかけざるを得なかった。人間ほどの大きさの2匹の猿がものすごい勢いで道路を飛び出し、高いフェンスを跳び越えようとしていたのだ。彼らは必死で私達から逃げようとしていたようであるが、私達もまた同様にその場から逃げたかった。

鹿児島湾沿いをワクワクしながら走り、湾の入り口を守るかのようにそびえる開聞岳に沈む、息を飲むほどに美しい夕日を見る事ができた。「Joyful」というレストランでやけ食いしたおかげでその日感じた失望感も消えていった。

そしてついに69日目、日本縦断を完遂した。九州縦断は、643キロ、9日を要した。宗谷岬から3,777キロの距離を漕ぎ通したのだ。寒いニュージーランドのある晩に糸を使って距離を計算した時には270キロ少なく見積もっていたことが分かった。結果、数日に渡って100キロ以上を漕いで補う事となった。

[5. 規則正しい交通事情、不器用な事故、そして愛への好奇心] [7. しかし、自転車の旅はまだ終わらない]

last modified:27, 06, 2008